手間と面倒を疎んで弁当で夕飯を済まそうと思ってコンビニへよったら、入ってすぐの棚にチョコレートのコーナーができていた。
ああ、もうそんな季節。
と思ってすぐに雑誌の置いてある棚に足を向けた。だっておれには関係ない。もらうのも義理ばっかりだ。
昨日発売の週刊誌を手にとって表紙をぺらりとめくりながら、でもちょっと昔を思い出した。
あれは、四年、いや五年? やっぱり四年前だ。だってあの人と付き合いだしたのはナルトが卒業した年で、バレンタインだってあの人が騒いだのは次の年だからあいつは十三だった。
そう、あの人と付き合って最初の年はなんの行事だってあの人ははしゃいだ。あの人はあんな頭から足の先まで無駄に隠した胡散臭い風体して(しかも猫背だし)愛読書がイチャパラだっていう大概変態の人っぽいけど、まあだから頭のなかはピンク色だ。イチャパラに結構夢を見てる。
あのシリーズはヤってるだけなのに手を替え品を替えで無駄に行事を大事にしてるからな。お互いの誕生日に、縁日に、七夕だろ、迎えるご先祖も違うのになぜかお盆も一緒だったな、後はお月見もしただろ、他にはクリスマスに正月、節分、バレンタインデーとホワイトデー、ぐるりと回って花見だな。まあ一年目はことあるごとにあの人に振り回されて結構大変だった。
下忍担当の頃はわりかし時間があったけど、木の葉崩しでばたばたしてたときもあの人は(おれもだけど)苦労して時間を作ってた。あの頃はね。
しかもあの人は衆目憚らず、っていうかあの人は結構常識人だから、きっとおれたちができてるってことを見せ付けてたんだろう。別にべたべたしてたってわけでもないんだけど、わざわざ人の多い受付所とかでデート?(いや、飲みにいくだけなんだけどさ)の約束したり、ああ痴話喧嘩もしたな。
あの人はずるくて賢いので意識してそんなことをしてた。おかげでおれたちは公認ホモカップルだ。不便はないけど。つか冷やかされたり気持ち悪がられたり反応はいろいろだったけど、公然とあの人を独占できたから、恥ずかしかったけど結構おれは嬉しかった。
ってうわ、思い出すと恥ずかしい!
そうだよ、嬉しかったんだよ、あの頃はあの人のちょっとした行動で浮かれたり沈んだりしてたんだよ。わー、そんな自分にてれる!
あんまり恥ずかしくなったので、読むではなく読んでいた雑誌を閉じて弁当が置いてある奥の棚へ移動した。食べ物の好き嫌いは大体分かるけど、今日は肉と魚とどちらの気分かまでは分からないのでカツと鮭の弁当と、あとは適当に惣菜パンを手にとってレジに並んだ。
コンビニを出ると冷たい風がひやりと首筋をなでて首をすくめる。でももう息は白くない。
これから暖かくなっていくのだろうけど、まだ少し寒い。
あの人はもう帰ってきてるかなあ。
無意識のうちに思考があの人に向かって、またあの人のことが思考を寒さから奪っていく。
バレンタインの時はね、チョコくれってうるさいから、「おれは女じゃないからいやだ!」って怒った。あのときは確か勝手に卑屈になって対等じゃないと思っていたからそんな些細なことが神経に障った。別に女扱いされてたわけじゃあないのにね。
ベッドの中でだって、突っ込むか突っ込まれるかって問題なら突っ込まれる方だけど、でもだからって女になるわけじゃない。
あの人だってそんなことはわかっていて、だから女らしさなんて求めてなかった。なのにおれだけが敏感になって、あの人が「イルカ先生かわいい」とか「手料理が食べたい」とか言うたびに、こうムラムラ反発心が育っていった。
でもまあそういう時期だったんだと今は思う。だってあの人を受け入れるまでおれは受身のセックスなんてしたことがなかったし、それまでおれが持ってた世界が崩れて新しくなる過渡期だったから。いろいろ混乱してた。おれたちのあり方を納得するまでに実は結構時間がかかった。
で、えーと、そう、断るとあの人は「じゃあおれも作るから!」ってわけのわからないこと言い出して、専門店に引っ張っていかれてベタなハートのチョコをふたつ買った。しかも両方とも自分で。
それでそのうちの一個を溶かして、大変巧妙で精巧なアレンジをかましたハートのチョコに生まれ変わらせた。
なんでそんなことするんだろうな、と思った。だって自分で作るんだったらわざわざ高いのを溶かすよりも板チョコ買ってきた方が経済的だろ。しかもどっちにしたって同じ形なんだ。全部が無駄だろ。
おれは確かそんなことを言った。やんわりとだけど。そしたらあの人は、信じられるか? 真顔で!
「おれのハートはあなたにトロトロにされたんですよー。それでまたあなた用に固まったんです」
恋する男は馬鹿だ。ていうかあの人は馬鹿だ。たぶんおれは一生あの人の考えてることは理解できないだろう。
それでもう一個手をつけてないほうをちらりと見て、「アレはイルカ先生のハートですよ」と頬を染めて一瞬だけこっちを見るとすぐにまぶたを伏せた。恥らってんだか期待してんだか、多分両方だ。もうね、おれはやってられんと思ったね。
だから何も言わずに自分のハートだと言われたチョコレートに手刀を落として真っ二つに割ってバリバリ食べてやった。甘かった。あの人は涙と鼻水をたらした。「どういう意味なの」ってあんまり嘆くから、自分がやったことなのになんでかおれは慰めた。
あ、あ、それはあんまり思い出したくない。結局おれも馬鹿なんだ。
次の年も懲りずに、…いや、だからだと思うんだけど、期待の眼差しで見つめられた。でもあの人に任務が入って気付いたら終わっていた。壊滅的な痛手を与えた木の葉崩しを五代目は対外的にはうまく乗り切ったけど、やっぱり忙しさは半端じゃなくて、内部の機関がうまく機能を果たすまでには結構な時間がかかった。里がそんな状態だったから、お互いあまり時間的な余裕がなくて、普通に合う時間を作るのに精一杯でそんなところまで手が回らなかった。
だから、三年目は「今年こそは!」って燃えるかと思ったけど、あの人もおれも一年目のような二人でいたら何でも楽しくて嬉しいとかそうゆう盲目的な浮かれ気分は落ち着いて、なんとなく行事ごとはまあいいよね、っていう感じだった。
四年目は、たぶん惰性だ。もう毎日が当たり前になってしまって、あの人が任務に行くのも、おれがアカデミーで先生するのも受付にすわるのも、家に帰ったらあの人がいたりいなかったりするのも、まるっと日常に組み込まれてしまった。
なんの約束もしなくてもあの人はおれんちで飯を食ってくし休んでく。里にいる限りは。あまり自分の家にもかえらない。
ほら、今だって。朝きちんと消した電気が、お隣さんの窓と同じようにおれんちの窓も明るくしてる。
いまさら、イベントにこじつけて時間をつくる必要はないんだ。あの人はね、イチャパラに夢見てるけど、でも自分自身は本当はあまり興味がないんじゃないかな。
ぼろアパートの階段をのぼると、鉄筋がカンカンと軽快な音を立てた。それからまっすぐ自分の部屋へ向かって、ドアノブを回し錆びた音をたてながらドアを開けた。
「ただいま」
あの人の履物を確認しながら声をかければ、金物がぶつかる音が何度かして、奥のほうから間延びした声で「おかえり」。
声の方へいけば、ごうごうと火が燃え出したストーブの前でカカシさんはしゃがんでいた。
「早かったんですね。今つけたばかりですが、じき暖かくなりますから」
「ありがとうございます。今日はもう早めにいろいろ片付けてきました。でも明日は遅いかもしれません。なんかみんな風邪でバタバタ休み出してね、アナタ何買ってきたんですか?」
冷蔵庫の前のテーブルの上においてある買い物袋が気になって覗いてみた。ハクサイにダイコン、ネギ、ニンジン、シイタケ、エノキに豆腐、それに肉、えーと他には、
「ああ、も少し遅くなるだろうと思ってね、鍋でも作ってようかと思ったのよ。アンタはそれ、弁当ですか」
言いながらカカシさんはおれの手にぶら下がってる買い物袋の口を広げて覗き込んだ。
「じゃあ鍋は明日にしましょ。チンしてきた?」
おれはカカシさんの買ってきた袋の隣に弁当を置いて、まだ大丈夫だと思いますよ、といって袋の上のほうにあった弁当と割り箸をカカシさんが座るほうのテーブルに出した。
「明日何時?」
「どうだろうなあ、九時前には帰りたいんですけど。カツでいい?」
「いいですよ。ありがと。じゃあおれ作って待ってますね」
「先に食べてたらいいですよ」
「いいじゃない。一緒に食べましょ。いただきます」
カカシさんは割り箸の封を切らずに自分の箸を取り出して手を合わせた。それからおれが割り箸を取り出そうとすると、すかさず箸立てからおれの箸を取り出して差し出してくれた。
「どーも」
おれも手を合わせた。
すっかり食べ終わると、各々勝手なことをする。おれは子どもたちの答案用紙の採点だ。これをしないと明日に響く。カカシさんは風呂から上がったところで、頭の上にタオルを乗せながらベッドの上でイチャパラを読んでいる。あの人も飽きないよな。
てゆうかいいなあ、おれも休みたい。
赤ペンを持った手を休めて見ていたらカカシさんの器用な親指がぺらりとページを一枚めくった。
昔はさ、あの本にだってやきもちをやいたもんさ。
それが今じゃあね。
別に好きな気持ちが減ったわけではないんだ。現にきっと明日あの人がいなくなったとした困る。きっと。本人に聞かれたらね、きっと強がってせいせいするとか、どうもしませんとか言うんだろうけど、でもきっとダメだ。
突然あの人がおれの生活からいなくなったら動揺してなにもできないだろう。
いや、突然じゃなくてじわじわいなくなってもいやだけど。
でも昔はこうやって見てるだけでもドキドキしたもんだ。きれいな顔してるとか、鼻筋が通ってるとか、まつげまで銀色だとか、案外繊細なつくりをした指だなとか、見てたらふり向くかな、とか。今はもう慣れちゃったけど。
でも慣れちゃったのはカカシさんも一緒だ。だっておれが見てたらあの人が視線を感じないわけがない。おれたちは気配を探るプロフェッショナルだ。特にあの人は。
視線を投げればふり向くかじらされるかいろいろだけど、まあなんだかんだでかまわれたんだよ。今は適当に流されてるけど。
だけど気持ちが減ったわけじゃない。
「カカシさーん」
「はーい」
呼べば返事をよこす。本から目を上げないけど。
「ねえおれのこと好きですか」
「好きですよー」
「おれも好きです」
「知ってます」
減ったわけじゃないんだ、本から意識を逸らさないけど。
「あいしてますか」
「あいしてますよー」
あ、こっち向いた。
「なあに、かまってほしいの?」
カカシさんは年をとっても相変わらずきれいな笑顔でおれに近づく。こっちを意識したカカシさんに、でもおれは気のない会話の続きだ。
「ちがいます」
背中に体温。カカシさんがおれの後ろに張り付いた。腹に腕をまわす。あったかい。でも首筋にあたった髪が冷たい。
「さそってるの?」
「ちがいます」
「じゃあなんなのよ」
なんだろう。
「……思索にふけってるんですよ。あんた毛冷たい。ちゃんと乾かしたほうがいいですよ」
「ちぇー、なんだー」
腕を解くとカカシさんは後ろに倒れた。それから腕を巻いてた位置に今度は足を絡ませる。
ちょっとふり向くと目が合って、カカシさんは思い出したみたいにくっ付いたまま横に転がると腕を伸ばして座布団を引き寄せた。また真後ろにもどって座布団を枕に本を持ち直す。
おれは採点に戻る。
まるとかばつとかつけながら、この子はいつも一生懸命聞いてるんだけどばつが多いな、とか考えていたら、くぐもったカカシさんの声がした。
「なに考えてたんですか」
「んー、愛について?」
内腿のくせにかたい筋肉でわき腹を締め上げられた。
結局とりとめもなく考えたって、なんにもない。
いや、変化を求めているわけではないからそれでもいいんだ。
だから、やっぱりとりとめもなく考えていたらいいと思う。そんなふうに考えていられるうちがたぶんきっと。
一日あけて、おれはまた仕事帰りにコンビニへ寄ってきた。目的は飯じゃない。
「ね、ね、カカシさん、いいもん買ってきましたよ。昔アンタが欲しがってたもんです」
家に帰ると部屋の中は適度に温められていて、それから火は止めてあるけど鍋から暖かそうに湯気が立ち上っていた。
カカシさんはテレビの前でくつろいでいて、おれはカカシさんの前に立つとビニール袋をがさがさやって、一掴みした中身をカカシさんの目の前にばらばら落とした。赤と黄色の小袋。
「チョコ? いつ欲しがったっけ? おれ甘いもんダメですよ」
不思議そうな顔でチョコレートの小袋とおれの顔とを見比べて、それからちょっとして、ふっと、思い当たった風だった。
「あ、バレンタインね。ってあんた色気なーい。ごえんチョコって。しかもそれは昨日の話でしょー! どうせならもっと盛り上げてくださいよー」
おれはにやりとした。
「じゃあ今日はこれでアンタを買いますよ」
そしておもむろにビニールの中から中の一つを取り出してその表面がよく見えるように掲げた。堂々と百万円、と書かれたお札だ。
カカシさんはぽかんとした。
その顔にちょっと気をよくしておれは、その百万円と書かれたお札のチョコレートでカカシさんの顔をはたいてやった。悪役のお金持ちのおじさんが札束で「どうだ、ほしいだろう、跪いて靴を舐めろははははは」って誘惑に抗えない人のプライドを踏みにじる時みたいに。
ぶっ、ってカカシさんはふき出した。
「あんたオヤジに磨きがかかったね」
そこで笑ってくれるからアンタ好き。
「じゃあサービスしますよ」
馬鹿なのりに、意味もたわいもない会話。
そして、ときおり思い出すんだ。恥ずかしくて忘れたいことや、忘れないと思って忘れてたことや、なんでもないあんたのしぐさとか。