なみだあふれて

すきなあのひとの手が、おれの顔をとらえる。

おれのすきなあのひとの顔が、ちかづいておおいかぶさる。

そのしゅんかんはいつだって、胸がつまって呼吸ができない。


がっしりとした骨格からは想像がつかないほどに唇は柔らかい。なにか別の生き物のように蠢いておれを捕らえる。なまあたたかいその舌がおれのべろまで絡めとりおれの中を荒らした。

おれに触れるこの人の。

手が、舌が、熱が。

すべてがおれをかきたてる。

なにか得体の知れない感情が、胸いっぱいに広がって、ただそれのみがこころを占める唯一のもの。

骨ばった不器用な手がおれの服にかかる。そのもどかしい手つき。そんなことをしているとおれの方が先にあなたを脱がせてしまうよ。

女のようにまろやかな肉のない引き締まった胸。脇から撫で上げ胸の突起で指を遊ばせる。もどかしい手つきが動きを止めてかわりに揺れる広い肩。

頬をすり寄せ耳朶をかむ。吐息がひとつ、おれの肩口に落ちて脱げかけの服にしみ込んだ。

もどかしい手つきが再開すると、おれはその手が仕事をしやすいように協力した。そしてひと仕事終えた後には褒美のようにその骨ばった指先に口づけを贈った。

それから今度はその骨ばった指先を口に含んで舌を這わせた。乾いた指の張り付くしょっぱさ。この人が生きて動いて掻いた汗。

おれの指もしょっぱいだろうか、気になっておれは指をこの人の口に突っ込んだ。おれは爪の間を舐りながら驚いて臆病になるこの人の舌を引っ張り出してもてあそんだ。そうすると次第に積極的になっていくこの人と、それからしばらく五本の指が互いの唾液でべとべとになるまで舐めあった。

この人の唾液まみれのぬれた手で、この人の形をゆっくりなぞる。顔を包んで骨格のしっかりした顎を下り、おうとつのある喉の山脈を越えると鎖骨のくぼみ。その骨をたどって程よくついた上腕の筋の形、肘、手首をつかんで、それから手を持ち上げて遠い国で騎士が貴婦人に捧げるように恭しく口づけを。手を離して胸の形、腹の形、へその形をたどると、今度は下から背骨の形。抱きしめるような格好で首までたどり着くと、また下へと肩甲骨をなぞってわき腹へ移動しながらゆっくりおれは押し倒す。

おれがこの人を形作っている間しきりにおれの首筋や耳の裏を濡れた手で弄くっていたが、押し倒すのと同じタイミングで背中にまわされ抱きしめられる形になった。おれの唾液で濡れた首筋に熱い吐息と湿った唇が吸い付いた。

その熱に、こみ上げる熱い感情。

正体のわからないその感情は、しかし胸いっぱいに広がっておれを占拠する。

どうにかそれを形にしたくておれは口を開くが出てくるのはもどかしいばかりの吐息だけ。

助けを求めて彼をのぞけば見上げる黒の強い眼差しが、けれど潤んで熱っぽい。

おれは言葉の代わりに口づけを贈る。その唇に、額に、頬に、まぶたに贈る。喉に、胸に、腕に、足に、体中のどこもかしこも。

身をよじって掠れた声をあげる姿に余計とおれは煽られて、言葉にできない衝動がおれを駆り立てる。

その衝動のためにかえってためらいが生じるのは、あなたで胸がいっぱいだからだ。だから思うようには動けない。

どうにかして吐き出してしまわないと、苦しくておかしくなりそうだ。

狂って死ぬ。

そうなる前におれはためらいを押しやって気持ちよくなる。この人と気持ちよくなれたらきっとだいじょうぶ。夢中になってきっとそれどころじゃなくなる。

いつもそう思うのだけど、全然大丈夫なんかじゃない。

触れるたびに、それに反応するこの人を見るたびに、触れられるたびに、体が気持ちよくなればなるほど、これ以上はないってくらいにいっぱいの胸が、ぎゅうぎゅう押されて少しの余裕もないくらいにこの人でいっぱいになる。もう入る余裕なんかこれっぽちもないのに、どんどんどんどん湧き上がってくるからもうどうしていいのか分からない。

「あ、あ、あ」

吐き出さないと破裂して死にそう。なのにそれを吐き出す手立てが見つからない。

もうだめ、あんたのせいでおれ、おかしくなる。

「イルカ、イルカ、イルカ」

快感と、胸を占めるこのえもいわれぬもどかしい思い。なにがなんだか分からなくて、全部がごちゃ混ぜになって涙になってこぼれていった。

事が済んでも止まらない涙に彼の手が伸ばされた。

「どうして泣くんですか」

「わかりません」

「泣かないでくださいよ」

頬を両手で挟まれた。彼は首をかしげて少し困ったふうに見えた。そうして壊れ物でも扱うみたいにそっと涙を拭ってくれた。

そんなことされたら余計と止まらなくなることを、どうしてあなたは知らないの。

汗とおれの涙で濡れた彼の手は温かい。その体温におれは余計と涙をこぼす。

「せんせい」

「なんですか」

「せんせいせんせい」

「カカシさん」

「せんせいせんせいせんせい」


なみだがあふれてとめどない。