magic

意識せずこぼしたため息が、まるで地面に沈み込むようだったので、カカシは思わず苦笑した。

この道二十数年、慣れたとか、慣れないとか、そういう次元ではなく疲れるときは疲れるし、気分は重くなる。それでももう動けないという程ではないし、もう一仕事しろと言われれば、どこへだってとんで行く。ただ、疲れている自分を自覚するだけだ。

元気が欲しいな、と思い、脳裏に浮かんだのは大抵受付所で帰還した忍び達を労うイルカの笑顔だ。あの穏やかな笑顔で、がんばって、と言われたならカカシはたちまち元気になれるだろう。

その想像がおかしくてカカシはひとり笑った。

カカシがイルカにおかしなことばかり言うものだから、最近ではそんな笑顔をカカシにくれなくなった。会えば眉間にしわを寄せて困った顔で曖昧に拒否するのだ。だからそれは想像ではなく妄想に近い。

「……(妄想でも癒されるよ)、あー、イルカ先生、愛してるよー」

天を振り仰いで呟くと、

「こんな往来で変なこと口走らないでください」

険のある声がして、カカシは歩みを止めて首を巡らした。

「アレ、聞こえましたか」

「白々しい、聞こえるように言ったんでしょうに」

声の通りの険を含んだ表情でイルカはカカシの前に現れた。まさかイルカの方から声をかけてくれるとは思わず、カカシは嬉しくなった。

「まさか。あんまりあなたが上機嫌そうだから今日は会わないでおこうと思っていたところですよ。機嫌を損ねたらかわいそうでしょ」

「それはもったいないことをしました」

憮然とするイルカは心底からというふうだ。

「ふふ、つれないなあ」

カカシは目を細めた。無愛想でも、その存在だけでカカシの気持ちを和らげることができるイルカをすごいと思う。要らないことに気持ちが緩んで、一緒にいたら思わず弱音を吐いてしまいそうだ。

「ま、これ以上気分を悪くさせるのも本意じゃないんで、今日はこれで遠慮しますよ」

頭をかいたついでに、横で軽く手を止めて別れのあいさつにかえた。カカシがゆっくりと横を通り過ぎるのをイルカの視線が追いかけてきた。それから思わずといった調子で呼び止められて、カカシは足を止めた。

半歩引いて振り向くと、イルカは呼び止めた自分に困惑しているようで、カカシは覆面の下で苦く笑った。

「なんですか、イルカ先生」

その言葉にイルカは首を傾げた。

「いや、あの。その、今日はどうかしたんですか?」

「どうか?」

「だから、その。いつもと様子が違うようなので……」

自信なさそうに語尾が弱くなり、窺うようにカカシを見た。カカシは驚いて、それから意地の悪い笑いを浮かべた。

「なぁに、心配してくれるの? それともいつも嫌がってるけど、本当は聞きたいの、オレがあなたをどれほど恋焦がれているか?」

羞恥か、それとも屈辱か、イルカは頬を赤くして勢いよく息を吸い込み、けれど俯いて唇を噛んだ。

聞きたいなら、いくらでも聞かせてあげるけど、と心理的に圧迫感を与えるためにカカシは一歩距離を詰めた。

「でも、聞くだけ聞いて、人を弄ぶなんて、あなたはひどい趣味の持ち主ですね、イルカ先生」

ゆっくりと距離を埋め、正面に立つ。微動だにせず視線を落とし、まるでそこに小鬼でもいるかのようにじっと空中をねめつけているイルカに手を伸ばす。顎を取り上向かせても視線は頑なに動かない。

早く逃げてくれ、と思いながらカカシは顔を近づけた。しかしイルカは後ろへ退かなかった。カカシの腕を取り、押しのけることで距離をとると、屹然とカカシを睨みつけた。

「心配したらいけませんか」

カカシは目を見張り、イルカの眼差しを受けた。真意を探るが、判別付けかねてカカシはゆっくりと瞬きをして視線を切った。

「あなたはずるいひとだね」

「ずるい?」

「ええ。オレはあなたに何も期待しちゃいないんですよ」

カカシは一歩退いて、イルカの手から自分の腕をそっと引き抜くと頭をかき回した。イルカの視線がいっそう鋭くなった。

「じゃあいつも言ってるのはなんですか」

「好きです、って? もちろん本気に決まってます」

ちらりとイルカを見上げると、案の定困惑したふうだ。カカシは乾いた笑いを顔面に貼り付けた。

「ほらね、イルカ先生困るじゃない」

本当は望めばきりがない。好きになって欲しいとか、笑って欲しいとか、一緒にいたいとか、触りたいとか、けれど、望みは叶わなければ苦しい。期待しなければこうして話ができる分だけカカシは幸せだ。イルカは受け入れもしないかわりに完璧に無視したり拒絶するわけではない。満足には程遠いが、それで十分だ。

「あなたはオレを好きにならない。だからそんなふうに半端に心配なんかされちゃ堪らない。気があるのかもしれないと期待しちゃうでしょ」

薄ら笑いを浮かべたカカシに、イルカは固く口を結んでへの字にした。何かを強要する気はない。ただ少し、この持て余す感情に付き合ってくれれば。

ひらりと手を翻して踵を返したところに、今度は強い口調と明確な意思でイルカは名を呼んだ。

「期待してないならどうして言うんですか! あなたこそオレがあなたの言葉で翻弄されるさまを見て楽しんでるんじゃないか! そんなのは迷惑です!」

「……ま、そうでしょうね」

カカシは肩を丸めた。イルカの口から拒絶の言葉を聞きたくない。決定的なことをそれ以上言われる前に逃げ出したくて、背を向けて歩き出す。

その瞬間、激しい怒気が背中にぶつかった。

「期待しろよ!」

思わず立ち尽くした。抑えがたい感情がこみ上げて、胸が圧迫される。不覚にも目頭が熱い。

「自分は言いたいことだけ言って人の言い分を聞かないなんて、あんたの方こそずるいじゃないか」

追いかけてきた言葉に拒絶はない。カカシは振り向くことができなかった。声が震えないことを意識して、ようやくのことで口を押し開く。

「それは、色よい返事を期待していいってこと?」

イルカが絶句する気配が伝わった。それから何かをいうために何度か息を吸い込んでいたが、結局それらは全てため息になって落ちた。

「それはもう少し待ってください」

力の抜けた言葉に、カカシは笑いがこみ上げてきた。落胆はない。むしろその逆だ。

振り向いてカカシは、待ちましょう、と言った。

期待しながら待ってもいい。イルカはカカシを好きにならないことはないかもしれない。

「じゃあイルカ先生。期待してひとつだけお願いします」

うなだれていた頭を持ち上げてイルカはカカシを見た。何を要求されるのかと身構えた固い視線とかち合って、顔の筋肉が緩む。

「一言、オレのこと励まして」

イルカは一瞬あっけにとられて、それからすぐに何かを堪えるようにぎゅっと顔をしかめた。

「やっぱりずるいのはあなただ」

悔しそうにはき捨てたイルカに首をかしげると、イルカは鼻を鳴らした。

「本当は強いのに、ちょっとそうやって弱いふりなんかして、オレを惑わす。それも手の内なんでしょうね」

「ふりじゃありませんよ。あなたの前じゃオレは本当に弱いんです」

「いけしゃあしゃあとまあ。……一言でいいんですね?」

イルカは正面からカカシを睨みつけて、思い切ったように息を吸い込んだ。

たちどころにカカシを復活させる魔法を使うイルカに、カカシの顔は自然とほころんだ。