手紙

ちょっとした遠出の任務が終わって、足元に小さく縮んだ濃い影を見ながらカカシは足取りも重く家に帰った。空の青さに比例して舗装されたアスファルトも強く光を跳ね返し、黒の影をじっと見ていると目がチカチカした。アパートの影に入ると全身を焦がした太陽から逃れて少し涼しい気分になったが、かわりに少し眩暈がした。

ノブを回して部屋に入ると少し留守にしたせいか生活の気配が薄れていて、なんだか知らない家の客みたいな気分になった。

「ただいま」

返事なんてないのは分かりきっているが、そうやって自分の家だと確認した。

それからポストをのぞくとほったらかしのピンクチラシに紛れて葉書が一枚入っていた。取り出して表をみると、力強くてまっすぐな字で宛名が書かれていて、久し振りに見るその字は差出人の性格そのままだと、少し笑った。

半年前、イルカは長期の任務に出た。その際にカカシはイルカに手紙をくれと頼んだ。

普段だったらそんなことを頼まなかっただろう。忍びはその任務の性格上公の通信手段はとらない。情報の交換は主に独自の情報網や手段を用いて図る。その方が公の機関を使うよりも正確で安全だからだ。そんなことはこの世界では常識であったし、カカシだとてどんなに長い任務になろうと一度だってイルカに手紙などを出したことがない。

それはカカシのわがままだった。カカシはそれを自覚していたが、それなのになぜこの時カカシがわがままを押し付けたかといえば、それはうらやましかったからかもしれない。

イルカに任務が下る少し前、カカシは一年ほど前まで教え子であったくのいちのサクラに会った。サクラは火影の執務室を辞したカカシのあとを追いかけて呼び止めると、少しはにかんで笑った。

そしてポケットから白い封筒を取り出して、

「ナルトから手紙が来たの。相変わらず元気にしているみたい」

と封筒を柔らかな目つきで見つめていった。それから顔を上げてカカシを見上げると、まくし立てるみたいに手紙の内容を伝えた。主にナルトの近況だった。

「あいつったらね、馬鹿みたいな量書いてくるのよ。返事を書くのだって大変なんだから!」

なんて憤慨したふうを装うサクラに、でもカカシは知っている。

「自分だって負けず劣らず分厚い手紙を出してるじゃない」

覆面の下でカカシが笑えば、カッと頬に朱を上らせた。

「だって! わたしはみんなのことも書いてるのよ! 先生のことだって書いてるんだからね!」

「ふふふ、ありがーとね、おれは元気よ」

と言って踵を返した。背中でサクラがキーとがなるのを聞いた。

そのやりとりにカカシは少し気持ちが温かくなった。

まるで、おれのこと忘れないで、というみたいに二、三ヶ月に一遍は手紙を出すナルト。それに、覚えてるよ、だからみんなのことも忘れないでね、帰ってくるところはここだよ、というみたいに分厚い返事を書くサクラ。

それがカカシはいいなと思った。


そうしたことがあった幾日か後に、イルカの任務が決まった。だからわがままであることを承知で頼んだ。イルカがカカシのことを忘れてしまうとは露ほどにも思わなかったが、それでもカカシはイルカにいつでも自分のことを考えていて欲しいと思った。イルカの帰る場所は自分のところだと形にしたかった。

だから、自分は筆まめな人間ではないからと断るイルカにそれでもしつこく頼み込んだ。結局最後にはイルカが折れて、しぶしぶながら約束を取り付けたのだった。

そうして少しの間差出人に思いをはせた後はがきを裏返せば、観光地のよくある絵葉書だった。脈々と連なる雄大な山の向こうに日が沈む瞬間で、写真の空や山は赤く染まっていた。

あれ、と思って表に返して見たが、宛名以外のものは何も書かれていなかった。もう一度裏返して隅々まで注意してみるが写真以外は何もなかった。

「え、イルカ先生だよね。どうしたの、……自分の名前も忘れてるよ」

用件が何も書かれていなかった。それどころか差出人の名前すらなかった。不審極まりないが、確かにイルカの筆跡であった。

カカシは首をかしげた。表に返して消印を確認する。掠れたような薄いインクで三日前の日付とイルカが出掛けた任地先ではない地名がスタンプされていた。

「この場所だと、近いな。もう任務終わって帰ってくるのかね」

絵葉書を表や裏に返しながらためつすがめつみると、心なしか宛名の左のほうが少し空いている気がする。本来ならそこに差出人の名前を書くので空いていて当然なのだが、自分の名前を書くに必要なスペースよりも少し広い気がした。字は力強く迷いなく書かれているがどうも配置のバランスが良くない。

気のせいだろうか。

いや、それに写真はイルカの任地先の有名な山脈であるが、消印はそれよりもずっと離れた木の葉に近い町の名前だ。

投函するのを忘れていたのか、はたまた事情があって出せなかったのか。

ひょっとしたら内容に悩んでいたのかもしれない。もしそうならどんなに嬉しいだろう。彼が毎日自分のことを考えていたのかもしれない。

ことの真相は分からないがそうだったのならいいとカカシは思った。

三日前にこの町にいたのならもう里に帰っているかもしれない。そう思ったらとても彼に会いたくなった。幸い会いに行く口実ならここにある。

「んー、ま、本人に聞けばいいでしょ」

葉書をひらひらやりながらカカシは強い日差しの中イルカの家に向かって軽快な足取りで歩き出した。