雨の気配に目が覚めた。どうやらうとうとしていたらしい。机に突っ伏して寝ていたせいで体を起こすと首が痛かった。
七班の任務が存外早く終わったので家に帰った。それから茶を入れて一息ついたのだが、どうやらそのままうたたねしていたようだった。
目をしぱしぱさせながら手でこすった。それから小さく伸びをして、冷めた湯のみに手を伸ばす。残っていた茶を飲み干すと持った湯飲みよりも冷たかった。
(さっきまでよく晴れてたのになぁ)
窓に視線をうつせばガラスの向こうは灰色だった。
(あの人困ってるかな)
困っているだろうな。なにせ急な雨だ。傘など持っていないに違いない。カカシはくふふと笑った。とてもいいことを思いついたからだ。
(傘持っていってあげよ)
愛用している覆面を鼻まで引き上げた。のそりとカカシは立ち上がって玄関へ向かう。その途中にベストを引っ掛けた。サンダルを突っかけながら傘に手を伸ばすと、傘は一本しかなかった。カカシはしばし考えるふりをした。寝起きの頭は霞がかかったみたいにぼんやりしている。
(ま、いいか。一緒に入れば)
のろのろと傘を手に取り外に出た。とたんに雨独特の生ぬるい空気を表面積の少ない顔に感じた。鍵をかけたのをガチャッとやって確認した。
そんな気分だったので、気分に任せてゆっくり歩いた。
頭の上で傘が雨をはじく音が途切れることなく続いている。その音が、やけにやさしく耳に響いた。歌っているようでもあり、踊っている足音のようでもあり、なんとなくそんなことが嬉しくなってくカカシはくふふと笑った。
肩に乗せるようにして差した傘を見上げてカカシはまた笑った。パタパタ音がするたびに水の玉ができるのがおもしろかった。重たくなった水の玉が滑りだして、別の玉と合流する。そうすると余計と重くなるので勢いを増して流れていった。またそこに水の玉ができて、また流れていく。カカシはそこに世界が凝縮されているように感じた。人の人生のようでもあるし、国の興亡のようでもある。自分と、自分をとりまく人たちのようにも見えた。または自然の摂理そのものであるような気もするし、でもやっぱりただの水の玉であるような気もした。玉ができて流れるさまにカカシは飽くことなく見入った。
どれくらいそうしていたのか、子どもの甲高いしゃべり声に意識を引き戻された。見れば、合羽を着た小さな子どもが母親の周りをうろちょろとはしゃいで回っていた。きっと自分と同じで、あの母親は急な雨に子どもの迎えに行ったのだ、とカカシは考えて、また覆面のなかで笑った。イルカは子どもではないが、少しでも嬉しがってくれたらいい。そう思ったのだ。イルカが喜ぶ顔を想像してカカシの胸はほんのり温かくなった。
親子がにぎやかに通り過ぎていった。カカシはそれにちょっと立ち止まって振り返った。子どもが学校で合ったことを熱心に語っていた。それにカカシは、(あの人は学校で今日どうしたのかな)と考えた。
少しの間親子を見送ってまた歩き出した。すると地面が薄紅に染まっているのが目を引いた。先週あたりを盛りと咲いた桜の花びらが積もっていたのだった。先ほど報告書を出しに行った折に見たときは、柔らかな絨毯のようでそれは美しい散りざまかと思った。それとは打って変わって、雨を含んでべっとりと地面に張り付いて春にしがみつく哀れな姿に見えた。だが同時にそれはそれで風情のあるさまなのかもしれないと思った。
なんの脈絡もなく唐突に、それでいいのだ、とカカシは思った。
一日の仕事を終えてアカデミーの校舎から出れば、むっとする空気に、
(雨が降ったのか)
とイルカは思った。朝はいい天気だったのに、と呟いた。どうして雨上がりは生臭いにおいがするんだろうなぁ、とどうでもいいことを考えながら踏み出そうとすると、薄暗い向こうからのそりと近づく影に気づいた。
そのやる気のない歩き方には見覚えがあった。
(カカシ先生だ)
イルカはカカシが近付いてくるのを待ち、カカシが立ち止まると声をかけた。
「こんばんはカカシ先生、どうしたんですか」
「こんばんはイルカ先生。雨が降ったから迎えにきたんです」
カカシが笑った。
「もう雨止みましたよ」
イルカはカカシのいでたちがおかしかったので、カカシの肩に乗っかっている傘を指して笑った。それにもカカシは笑った。それでカカシはわかっていてやっているのだとイルカはわかった。少し細めた目がなんだか可愛らしく見えたので、付き合ってもいいか、と思って、
「わざわざありがとうカカシ先生」
お礼を言えば嬉しそうにカカシが笑った。
「ところでおれの傘は?」
カカシの笑顔にくすぐったくなってそれをごまかすために聞けば、
「あなたとひとつ傘のした肩よせあって帰ろうかと思って」
なんて臆面もなく言われた。だから、
「なに恥ずかしいこと言ってんですか」
と半ば呆れながらいえばカカシは、
「くふふ」
と笑った。それが覆面越しにも本当に嬉しそうに見えたので、イルカは照れ隠しに鼻を鳴らした。
帰りますか、とカカシの傘に入って歩き出せば、カカシは傘を持つ手をイルカとちょうど真ん中において、隣を歩いた。
嬉しそうなカカシに、それでもいいか、とイルカは思った。
ひとつ傘のしたの二人の影が薄暗い夕暮れのなかに消えていった。