膝に頭を乗っけたら仕事の邪魔だと怒られたので、おれは仕方なく頭のてっぺんを彼の太股に押しつけるだけで我慢して、本を読んでいる。
でも文字なんて少しも意味をなさなくて、だけどおれは本から目を離さずに努めて何気なく言った。
「ね、先生。駆け落ちしましょうか」
「また何に影響されたんですか?」
イルカ先生はおれに目もくれず適当に返した。
そうなんでも決め付けたらよくないですよ先生。
「や、まじめな話。おれと一緒に逃げてください」
言って恐る恐る視線をあげたら、イルカ先生の肘しか見えなかった。
「いやですよ、まだ死にたくないし」
「死なせませんよ。絶対命にかえても死なせませんから。お願い」
「あんたが死んでおれだけ生きててもしょうがないでしょうが。それにあんたが死んだらおれなんて時間の問題ですよ、アッという間です。いちころです」
「そんなこと自分で言って情けなくないんですか」
「情けないも何もただの事実でしょう」
イルカ先生は唇だけで笑った。いや、見えないけど。そうゆう声をしている。
でもおれはさ、頭ごなしに否定するイルカ先生のそうゆうところ、ちょっと冷たいと思う。生徒の言うことだったらちゃんと理由を聞くのに。
「……イルカ先生のけち。おれがこんなに頼んでるのに。今逃げてくれなかったらおれはそのうち死んでしまいますからね、過労で」
「ははは、カカシさん、それ冗談にきこえませんね」
先生、それはいくらなんでも失礼なんじゃない?
どうせイルカ先生はおれのほうを見てないけど、本でおれはへの字に曲がる口元を隠した。
「冗談を言ったつもりはないんですがね」
憮然とするおれに、イルカ先生は笑って取り合わない。それから自信たっぷりに、
「逃げるなんて責任感の強いあなたにはできませんよ」
断言する。おれはますますむっとするしかない。
「先生がいてくれたらできる気がします」
「そんなところでおれをもちださない」
「じゃあどんなところで持ち出すんです」
なんだか先生に押し付けている頭が急に厭わしくなっておれは横を向いて体を丸めた。
ものを書いていたペンの動きが止まって、たぶんイルカ先生はおれを振り返った。ふんだ。
イルカ先生なんか知るか、って気分でぎゅっと目を瞑ったら、
「カカシさん、カカシさん」
肉厚の暖かい手がおれの頭を軽くなでた。
それにうっかり視線を上げると、その手はおれの頭を離れて自分の膝をぽんぽんと示した。
さっきは邪魔だと言ったくせにとか、そんな懐柔策に乗るかとか、反発する気持ちがわいたけど、体は素直に従った。
顎を膝に乗せてイルカ先生を睨みつける。イルカ先生はおれと視線を合わせて、悪さを叱ったあと反省してしょげる生徒を許すときみたいに、ふ、と笑ってまたおれの頭をなでた。
「五代目にちゃんといいなさい、おれも言ってあげるから」
おれは子供か。
なんだかいろいろ悔しくなって、自然唇がとがった。
「何度も言ってます。でも四日も休みをやれるかって」
「また明日頼みにいきましょうね」
イルカ先生はひとつ笑みを深くすると、次にはもう仕事に戻ってしまった。
そうしてさっきまでおれを軽くあしらっていたのと同じ調子で、
「どうしてもだめならおれがあなたを買ってあげますから」
といった。先生にとってはおれが里を抜けるほうが現実的ではないように感じているみたいだけど、おれにとったらそっちのほうが現実的でない。
「そんなことしたら身代つぶすよ」
「そうしたらあなたが養ってください」
…………。
む、いかん。ちょっと惚れ直した。
イルカ先生の足の付け根の辺りに、うれしかったり恥ずかしかったりする気持ちを額と一緒に押し付けた。